第26章 家族のために:双極性障害を抱える患者を家族としてどう援助するか v2.0

第26章 家族のために:双極性障害を抱える患者を家族としてどう援助するか v2.0
第26章 家族のために:双極性障害を抱える患者を家族としてどう援助するか v2.0
26-1 病識の問題:患者に治療を受け入れてもらう方法
26-2 本とインターネットの使い方
26-3 非暴力的抵抗:表出感情の低減
—–◎ここがポイント◎————————————-
1.患者が治療を拒否することはよくある。また病識を完全に持たないこともよくある。どちらも家
族としては困ることだ。その場合には心理教育的精神療法を行い、サポートグループに参加して
もらう。
2.双極性障害の場合、通常病識が欠如していることが問題である。病識欠如は病気の根本とつなが
っている。
3.単極性うつ病の場合、問題は「精神薬理学的なカルヴァン主義」である。人間は全的に堕落して
おり、精神病も人間の弱さであるし、それを薬剤で治療するなどさらなる堕落であると考える。
精神的なことに薬剤で対処する、薬を飲んで気分が楽になるなんて道徳的な堕落だと感じる。単
極性うつ病の場合、病前性格として真面目な人が多いこととも関係するだろう。
4.家族や治療者のすべての努力は拒否され、結局自分が痛い目を見て経験から学ぶしかない事も
ある。
5.自分を教育するために良い本とよいウェブサイトを見つけよう。しかし通俗で扇情主義的なもの
は遠ざけよう。聞いたことは信じるな、見たことは半分信じろと昔から言われる。外見が立派な
本やウェブサイトの内容がひどいものであることはよくある。それは治療の妨げにもなる。友人
からの情報も間違ったものが多い。患者がどのような情報に基づいて考えを形成しているかを家
族として話を聞きながら考えてみよう。影響が大きすぎて治療のじゃまになるようならば、影響
を取り除こう。
6.感情表出(EE)を減少させよう。High Expressed Emotionは問題がある。家族は怒りや不安、苛立
ちを伝えるときもなるべく落ち着いて強い感情を乗せないで伝える。一つ一つが疾患教育のだと
考えよう。
7.怒りも不安も苛立ちも、愛と非暴力的抵抗に置き換えよう。キング牧師の政治的方法である非暴

力的抵抗を家庭の中で応用しよう。

この本の多くの部分は医師に向けてのメッセージだった。精神科医、看護職、精神療法家、ソ
ーシャルワーカー、精神科レジデント、研修中の人に向けられていた。
しかしまた同時に、気分障害を持つ患者の家族や友人に向けてのものであり、患者自身に向けて
のメッセージである。
患者自身と患者の愛する家族は治療の判断プロセスの主体であるから、このメッセージを聞いて
欲しいのである。
患者と家族は診断と治療の理由を医師と同じくらい詳しく理解して欲しい。
医学専門用語は邪魔になるが、私はこの本を、教育された患者と家族、友人が理解できるように
書いた。
この章では、医師よりも患者と家族に向けて直接に、病気と治療をより良く理解し、身につけ、
双極性障害の医学ケアが実践できるように、書いてみようと思う。
26-1 病識の問題:患者に治療を受け入れてもらう方法
双極性障害の約半分の患者は自分が経験している躁病が何であるか理解していないし、過去に自
分が体験した躁病についても理解していない。
したがって彼らはしばしば診断に反対だったり、気分安定薬治療を拒否したりする。
単極性うつ病の場合には病識のある人がずっと多いが、今度は精神科的援助を受けることのステ
ィグマを恐怖し、向精神的な薬剤を服用することを恐怖する。
なにかしら決定的なマイナスの刻印だと思う。
家族や友人には何ができるだろうか。
双極性障害の場合には、躁病エピソードが解決されれば病識は改善される、そして回数を重ねる
ごとに病識形成は改善されるとの研究エビデンスがある。また病識は入院回数と関係していると
言われることもある。
その反面では、双極性障害が反復の病理であることの一つの側面として、過去の苦痛を忘れてし
まうからだとの観察もある。いつまで経っても病識が形成されず、躁病や軽躁病の時の自分が本
来の自分だとの認識を変更することができない。それが病気だと納得することと、それが本来の
自分だと思うこととの間にはかなりの隔たりがあるはずであって、このあたりに、患者教育の焦
点があるのかもしれない。
そのような事情からすると、双極性障害における病識獲得対策は時間と人生の苦難(入院を反復す
るなど)かもしれない。
もし患者が精神療法を進んで希望するなら双極性障害治療の経験豊富な精神療法家がいいと思う
。次第に尊敬を持って双極性障害について患者を教育し、生活の中で生活の中のどのような主観
的症状と客観的症状が病気に関係しているのかを繰り返し示す。
もし患者が精神療法をしたいと希望しなかったら、教育スキルのある治療者であっても役に立た
ない。その場合には、患者と家族にサポートグループに参加することを勧める。たとえばDBSAの
支部のようなところがいいだろう。私は精神療法をしている時でも、そのようなグループに参加
することを勧めている。
もし患者がそのようなグループ参加も拒否、精神療法も拒否、薬も拒否となった場合、悪い結果
しかなくて、入院か、別の苦難か、しかしその経験が双極性障害に対して心を開くきっかけにな
ることもある。
そのようなケースでは、悪い結果が起こった時、薬を飲む理由を診断ではなく、患者の行動にす
るのがベストである。「もし病院を往復したくなかったら、薬を飲んだほうがいい。こんな嫌な
目に遭うより薬を飲もう。」
病気の診断が出たから飲めと言うより、病院を往復したり嫌な目に会うのが嫌だったら薬を飲め
ばいいと言って説得する。
—–キーポイント—————————————–
もし患者が双極性障害診断に対する病識がなく、あるいは、適切な薬剤治療を拒否するならば、
段階ごとに計画し、第一は、心理教育的精神療法を勧めることである。それが拒絶された時は、
権利擁護団体がベースになっている支援グループに参加してみることがよい。それらが拒否され

た時は、現実の困難が彼らを教育するだろう。

単極性うつ病の多くの患者では治療を拒否する傾向があり、それが「精神薬理学に対するカルバ
ン主義」である。文芸批評家Menckenがかつて語ったように、「ピューリタン主義者は誰かがど
こかで幸せになっていると思うだけで不安に取り憑かれる」。ここでこの意見を適用すると、薬
を使うこと全般に対する我々の社会の心理的抵抗があり、さらにまた向精神薬剤では抵抗があり
、さらに、「ハッピーになる」というところで抵抗がある。しかしこの文化的カルバン主義は絶
対的ではない。人々の中にはカルバン主義者もいれば薬愛好者もいる、どんな問題でも解決する
薬をほしがる人もいる。【all だと、カルバン主義者もいれば薬大好きもいるが、全員が全ての
問題を解決してくれる薬を探すことに熱心である。too to do だと「全員があまりに熱心ですべて
の問題を解決してくれる薬を探すことができない」 ?】
しかしここでの問題は、うつ病について知ることを拒み、治療を拒む人の多くが精神薬理学に対
してカルバン主義者であることだ。
その場合、双極性障害という病気についてよく理解していて精神薬理学の有用性を知っている治
療者に精神療法をお願いするのがいいだろう。
先に述べた治療シナリオのように、こうした治療者はゆっくりと繊細に長期の心理教育をしてく
れる。そこでは患者は最終的にはカルバン主義者の持つ偏見を捨ててゆく。
最近の精神療法家は精神薬理学の価値を理解している人が多いのだが、また理解しない人も多く
、一部の心理やソーシャルワーカーの集団では恐ろしい「医学モデル」に対する伝統的な抵抗感
がある。
うつ病に対して医学的にアプローチすることの価値を理解している人の精神療法を受けることが
重要である。
また、もし患者が薬剤や精神療法を拒否するなら、サポート・グループが勧められる。サポート
・グループは患者にとっての恐怖感が最も少なく、経済的にも最も安上がりの選択肢である。
サポート・グループも拒否するなら、実際に痛い目にあってもらうしかないが、そのときは当然
いろいろな危険が付随することになる。
26-2 本とインターネットの使い方
患者と家族は双極性障害について自分を教育しなければならない。本とインターネットはうまく
使えば価値のある情報源であるが、役に立つ情報に行き着く前に多くのくず情報をより分けなけ
ればならない。
表26.1(それと付録C)で私が最近全ての患者に手渡している本とウェブサイトのリストを示した。
選んだウェブサイトは信頼できて特に双極性障害に役立つものである。本は内容がしっかりして
いて一般向けのものである。
インターネット全般については、掲示板を読み過ぎない、信用しすぎないことをお願いしている

一番おしゃべりでやる気満々の人からのコメントに勇気をもらう面もあるのだが、そういう人
は往々にして医学的治療に対して極端すぎる態度を取ったり極端すぎる意見を持ったりしている

主義主張の強すぎるウェブサイトも避けた方がいい。
患者と家族は基本的な情報を主流の中道のウェブサイトで見つけて欲しい。
そのようなウェブサイトでは全般に、科学的に価値のある内容が説明されている。
しかしウェブサイトに書いてあるから真実だと考えるのはやめよう。
ウェブサイトを印刷して医師と話し合うのもいいと思う。
書物全般についていえば、私は雑誌論文の書き手としてよりもむしろ最近は書物の著者として活
動し始めているのだが、その中で印象的なのは、科学雑誌論文ならば査読があるのに、出版され
る本の大部分で審査がないことである。
つまり、もし私が科学雑誌に論文を掲載したいと思えば、たいていは3人の匿名の科学者に内容を
審査しもらうことになる。
もし内容が間違っていたり、証明が不充分だったりすると、論文は掲載されないことになる。
対照的に、書物の著者となるときには好きなことが書ける。そして商業出版社は売れるかどうか
にだけ関心がある。科学的に正しいとか内容に価値があるとか正しいとかはあまり問題にしない

このような事情で多くの一般向けの書物はいろいろな極端な意見のものも混じることになる。
印刷されたものなら信じるという人もいるし、特に書物になって堅い表紙に挟まれて立派に装丁
されていると内容も正しいと思う思う人もいる。
私がここで指摘したいのは、患者と家族にとって、書物だからといってインターネットよりも信
用できるというわけではないということだ。
表紙が立派でも中身はおかしいものもあるので、内容を確認しながら読んで欲しい。懐疑的精神
が必要である。
しかし科学的にしっかりしていて、臨床的に健全な一般向けの書物も多いので、そうしたものを
探し出そう。派手なことを言っているだけのものは排除しよう。
古い言葉に「聞いたことは信じるな、見たことは半分だけ信じろ」とある。賢くなろう。
一般にはリテラシーの問題と言われているが、内容が非常に偏っている、何かの利益を代弁して
いる、古い情報をコピーしている、誤解をそのまま書いている、そのあたりを自分で判別しなけ
ればならない。腐った牛乳であれば、買った方が悪いのではなくて、売った方が悪い。しかし書
物やウェブサイトの内容については、書いた人が悪いのではなくて、それを読んで信じた人の、
読解能力、内容の判別能力、つまりリテラシーの不足が問題なのだということになり、これは「
買手危険負担」というものになる。
この人はこういう事情があってこのような極端な意見を書いているのだなと読み取れるようにな
れば情報洪水の中を泳いでいける。
ネットで検索サイトに入って何かキーワードを入れても、上位に出て来るのはいかさまなサイト
だけという現状はしばらく続くだろう。
—–ヒント——————————
書物とインターネット・ウェブサイトは貴重な情報源である。しかし「買手危険負担」で、損害
があっても情報発信者は何もしてくれない。情報の多くはでたらめで無視した方がいい。よい書

物とウェブサイトを探そう。そこには素晴らしい教育的価値がある。

26-3 非暴力的抵抗:表出感情の低減
これまでの多くの研究で双極性障害においては、家庭内で議論になったり口げんかになったりす
ると症状が悪化することが知られている。
これは「表出感情(Expressed Emotion)」と呼ばれていて、これは家族同士が攻撃的に大声を上げ
たり不安をはき出したりする程度のことである。
双極性障害の本来の性質の一部として、いらいらしやすい、落ち込みやすい、気分が上がってし
まう、我慢できない、などが見られるのだが、それに対して家族が対応するとして特に心に留め
ておいて欲しいのは、どう対応したらよいか疑問があるときは、何も反応しないでいることで
ある。
戦うか退却するかの選択が出来る時には退却した方がいい。
対人関係の中で非暴力的に振る舞うことが最上であることは事実だと思う。
国家のような大きな社会でも有効性が証明されているし、家庭やプライベートな付き合いのよう
な小さな社会でも有効だろうと思う。
この点で、各人の信仰などとは関わりなく、キング牧師の説教に耳を傾けてみたい(たとえば説教
集「真夜中のノック」)。
そこには困難に直面している人と付き合うときの心理学的に健全なアプローチが示されている。
キング牧師の場合の敵は人種差別だった。
ガンジーの場合は敵は植民地主義だった。
しかし原則として、ふたりとも、どんな不満やいらだちを述べるときも非暴力的だった。
キリスト教的精神を堅く守っている患者や家族にとっては、自分の信じている文化的価値と宗教
的価値とにぴったり一致するだろう。
非暴力主義の要点は「汝の敵を愛せ」である。
患者はもともと家族の敵ではないのだからこれは容易だろう。
自分を悩ませる人生の敵は、私が愛さなければならない人間であることを知ること、これが鍵で
ある。
もし誰かが私に攻撃的になり大声を上げるとしたら、自然な反応は戦うことである。我々の社会
では、肉体的に戦うよりは言葉で戦うことが普通であるが、暴力的な言葉は肉体的な一撃とほと
んど同じである。
—–ヒント—————————-

言葉の暴力は肉体的暴力と同じである。

高表出感情(High Expressed Emotion)とは、言葉の暴力のことである。
たとえば、患者がいらいらして母親を怒ったとする。
「おまえも家族もみんなも偽善者だ!おとなしくさせたいだけだ。薬を飲ませてぼーっとさせた
いんだろ。それじゃ何もできない。おまえの人生は失敗だろ。俺は失敗したくないんだ。」
母親は入院のことや失った年月のことをあれこれ考えて「ジミー、そんなことを言うなんて!病
気のせいで仕事も続かなかったし大学も中退したでしょ。わかっているの?病気をどうにかしな
いと私たちのあとの人生も台無しなのよ!あなたの人生だけじゃなくってね!」
母親の言っていることは正しい。しかし言葉の暴力である。患者と同じ感情トーンで患者と同じ
防衛的態度で反応した。
母親の目標が事実を述べることならば彼女は成功している。
患者を説得するのが目標ならば、彼女は失敗している。
政治でも家族のことでも3つの選択肢がある。暴力的抵抗、非暴力的抵抗、抗議なしの黙従。抗議
なしの黙従は、精神障害の場合には単に「病気だから何でも許される」と思わせてしまうだけだ
。抗議なしの黙従よりは抵抗の方がよい。
家族が助けようとすることを諦めるだけだったり、患者の間違った意見を受容したりするなら、
家族は患者を傷つけている。
しかし暴力的抵抗では普通は目標達成はできない。
—–キーポイント————————————-
双極性障害をもつ家族と関わるには3つの選択肢があるが実行するのは難しい。暴力的抵抗、非暴
力的抵抗、抗議なしの黙従。抗議なしの黙従は患者を甘やかすだけだ。暴力的抵抗は症状を悪化

させる。非暴力的抵抗だけが、愛する善意志に基づいて、患者を助けることができる。

非暴力的抵抗はどうだろうか?まず患者を愛することだ。常に何が正しいか探し求め、かつ、患
者が信じていることや語ったことを受容することだ。
キング牧師が指摘したように、汝の敵を愛せとは、実際に恋をすること(ギリシャ語のエロス)でも
ないし、好きになること(ギリシャ語のフィリア)でもない。その人に対して善意志を抱くこと(ギ
リシャ語のアガペー)である。
憎しみや怒り、傷つけたくなる心、悪意ではなく、反応は善意志からであるべきだ。その患者の
よい面を認めること。第三者の観点から見て妥当と思えることを妥当と認めること。
キング牧師はこうした種類の善意志は贖罪であると言っている。
患者とこのように接することによってのみ、患者は行動や考えを変化させるようになるだろう。
しかし思い出して欲しいのだが、それでも依然として抵抗しているのである。この善意志は抗議
なしの黙従ではない。
他人に反対もできるし間違っていることもその理由も指摘もできる。
しかし同時に同意できることには同意するし、個人的な憎悪を発展させることはない。キング牧
師のように罪を憎むが罪人を愛する。
キング牧師が行進したときのようにするには母親はどうすればよかったのだろう。
たとえば、「ジミー、辛いことはよく分かっているつもり。薬を飲めばだるいでしょう。私もみ
んなもそうよ。でも少しでも安定して、仕事も学校もうまくいくようにしましょう。よい心があ
るんだから、それを強くしていきましょう」
こうした対応はあらかじめ練習もできないし、とっさに考えつくことも容易ではない。所詮我々
は普通の人間なのだ。怒るし不安になるし、他人の怒りに本能的に怒りで反応してしまう。
しかし非暴力のポイントは自然でも容易でもないことだ。
まさに反対で、困難で非常に辛い、長い努力と実践の結果である。
家族にとって難事業である。しかしそれでも病気の家族を愛して、辛抱強く治療に導こう。

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